+++タイ史+++
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スコータイ王朝 (1238〜1350年)
≪≪
13世紀ごろ
アンコール王朝
の
ジャヤーヴァルマン7世
の崩御により、
モンゴルは雲南から南下してきたタイ族が勢力を拡大し、
クメール帝国
の衰えに乗じて、
先住民であるカンボジアを破りタイ民族による統一国家の始まり。
シー・イントラティット王
が
スコータイ王国
の始祖となった。
後1277年、3代目
ラムカムヘーン王
の即位により王国は黄金期を迎えた。
今のラオスからシンガポールまで領域を拡大し、
パヤオ王国のガムムアン王・
ラーンナータイ王朝
の
メンライ王
と同名を結び、
マレー半島全域からベンガル半島までを掌握した。
また、この時代に小乗仏教の布教・タイ文字の考案・交易の自由などを認め、
今のタイ文化の基盤が確立された。
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ランナータイ王朝 (1296〜1350年)
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スコータイ王朝
と平行して、
1296年北部の方で
メンライ王
により
ランナータイ王朝
が
チェンマイ
を都に建国された。
メコン河中域の小国家だった
ヴィエンチャン
を支配下に置くなど勢力を広げたが、
1558年には
ビルマ(ミャンマー)
の属国となった。
18世紀末に再度独立して20世紀前半に現在のタイに併合。
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アユタヤ王朝 (1350〜1767年(1569〜1584年はビルマ属領))
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1350年、
チェンライ
から興った
ウートーン候
が
スコータイ
を滅ぼし、
チャオプラヤー川
に臨む
アユタヤ
に遷都し、自らを
ラマティボディ1世
と称し王位に就いた。
四つの高級役人の地位を創設し、諸法律を制定、この時代から奴隷制度が浸透していった。
ラマティボディ1世
は、専制君主の形態をとり、歴代35人の王による統治が417年続き一大王朝となった。
しかしこの間、度重なる王位継承問題や
ビルマ
の度重なる侵略によって、
常に平和を享受していたわけではない。
現に1569〜1584年の25年間、
ビルマ
の属領となっていた時代もあった。
後に
ナレスワン大王
によってタイは再び、
ビルマ
からの独立を回復。
中国・インド・西欧の国々・日本などと交易をおこない、国際商業都市として栄えた。
当時、
日本人町
もあり、朱印船で渡った
山田長政
が町長となり、
日本人傭兵隊を味方に王位継承問題を鎮めたりと活躍が功績として残されている。
しかし1765年、再び
サイアム
との併合を狙う
ビルマ
に侵攻され、
既に国力の衰えた
アユタヤ
は14ヶ月間包囲され、
その末、1767年4月7日の総攻撃で一夜にして陥落。
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トンブリ王朝 (1767〜1782年)
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アユタヤ
陥落の際にサムアイを脱出していた、当時の将軍
タークシン
は、
兵を立て直し
ビルマ
を包囲、
アユタヤ
を奪還することに成功し、
破壊された
アユタヤ
を放棄し、
チャオプラヤ川
の対岸
トンブリ
に遷都、
自らを
タークシン王
としたが、次第に精神に異常をきたし、クーデターが勃発。
人々がその信頼できる部下だった
チャクリ
将軍を推したために、
トンブリ王朝
は一代、わずか15年でその幕を閉じることになる。
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チャクリー王朝 (1782〜現在)
≪≪
チャクリ
将軍が王位に就くことで
ラマ1世
がここに誕生した。
首都を
バンコク
に移したことから
バンコク王朝
と呼ばれることもある、現王朝である。
現在の
ラマ9世
までに優れた王が多くいたわけだが、
とりわけタイの近代化に大きな功績を残したのが
ラマ5世
。
学校制度・郵政事業・鉄道事業・道路整備・都市計画などの基本的なタイのインフラはこの王の時代に創設。
1932年(
ラマ7世
時)の軍人によるクーデターにより、
専制君主制
から
立憲君主制
に。
1939年、それまでの
サムアイ(シャム)
から
タイ
ヘと国名も改められた。
・ラマ1世:チュラローク王
・ラマ2世:ナパーライ王
・ラマ3世:プラナンクラ王
・ラマ4世:モンクット王
・ラマ5世:チュラロンコーン王
・ラマ6世:ワチラウット王
・ラマ7世:プラチャーティポック王
・ラマ8世:アーナンタマヒドン王
・ラマ9世:プミポン王(現在)
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